(その他)映画『パーフェクト・レボリューション』鑑賞記録

25日の夜、NHKの『クローズアップ現代』で、この映画『パーフェクト・レボリューション』のテーマ、「障害者の恋と姓」についてやっていたので見ていた。番組の中では、NHKの方針として『パーフェクト・レボリューション』のタイトル名は伏せていたため、番組制作のきっかけがこの映画にあることは後から知ることになった。映画については興味があったので、今日、昭島のシネマコンプレックスに行ってみてきた。

全体的な感想を申し上げると、主人公の交際の過程で生じるスポット的なエピソードを連ねて並べるような構成になっている。私は映画に登場させるエピソードはもう少し数を絞って、逆に絞って登場させたエピソードについてはその前後をしっかり掘り下げた方がよかったように思う。

具体的に言うと、例えば映画のうしろ1/3ぐらいのところに、女主人公ミツが車いすにクマのぬいぐるみを乗せて公園の階段のようなところで車いすごと突き落とすシーンが現れる。これは、ミツが男主人公のクマを「殺してしまいたい」という心理をいだきはじめたことを暗示させるちょっと怖いシーンだ。実際、その直後、クマとミツは海岸に散歩に行き、そこでミツはクマを車いすごと沈めて殺害しようと試みる。クマの介護責任者の恵理(小池栄子)がすんでのところで止めに入ってクマは助かる。

こういったエピソードをストーリー展開の中に入れること自体は決して悪いことではない。しかし、せっかくこういったエピソードをストーリー展開の中に入れるのであれば、ミツがなぜクマを殺害しようとしたのか、その「心が折れる」ところの心模様をもっと精密に描いてみてはどうだろう。また、ミツがこういった事件を起こしたのなら、これは「殺人未遂の刑事事件」に該当するはずだ。ミツは警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判にかけられても何ら不思議はない。

映画ではそういうところを描いてもよかったのではないかという感想をもった。そして裁判のシーンの中で、参考人という形で精神科の専門医を登場させ、ミツが病んでいる人格障害の学術的な解説を参考人の供述という形で導入し、映画の鑑賞者がミツの人格障害がどういうものなのかについて理解を深める、という仕掛けにしてはどうだろう。

このような深刻な事件を経て、クマとミツは相互に隔離される。映画の最後のほうで、一時的に隔離を解かれてホテルのロビーのようなところで、会話することを許される。「僕たちの愛の試み、革命の試みは終わったのだ」ということを確認しあって、最後にクマがミツとダンスを踊ることを提案する。私は映画はこのダンスのシーンで幕にすればよかったのではないかと思えた。そのほうが終わり方としてきれいだし、「二人の革命はなぜ未達に終わったのか」という問題意識が映画の鑑賞者の心に去来する。

ところが、映画の制作者は、この映画のストーリーを無理やり「疑似ハッピーエンド」に導きたかったようだ。ミツがホテルからの帰り、監視のスタッフと駐車場を歩いていると、ミツの保護者役の晶子(余貴美子)と恵理とがワゴン車に乗って現れ、晶子がナイフをかざして監視スタッフのひとたちをひるませている間に、恵理がミツに「あなたたちならやれる。彼のところに行きなさい」とけしかける。晶子や恵理は、いったいどんな根拠があってそんな「あなたならやれる」などという思想を抱くようになったのだろう。その思想の変節について映画の鑑賞者が納得できる理由は全く描かれていない。ミツはクマのところへ走り、映画は終わるが、こんな終わり方は映画をかえって安っぽくしているように感じた。

クマとミツの恋は失敗し、二人が試みた革命は未達に終わる、そういう結論でいいのではないかと思った。その代り、なぜ二人の恋は失敗したのか、なぜ二人が試みた革命は未達に終わったのか、二人に何が欠けていたのか、革命の構想のどこが未熟だったのか、そういう問題を映画の鑑賞者に投げかけるような終わり方がよかったのではないかと思った。

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■障害者も健常者も関係ない! リリー・フランキー清野菜名が不器用に愛を叫ぶ!!