そうだったなぁ

奇跡のコースヒーラーにセッションで、〜な子どもだったんですね、と言われたが、わたしには子どもの頃の記憶がほとんどなく、自分のことなのにそうだったかもしれませんねぐらいしか答えられなかった。で、それは相手を否定しないための言葉に過ぎなかった。

その時は、とまどいと、モヤモヤモヤモヤした気持ちがわいていた。

たぶん、普通のセラピーはこれを使ってセッションをしていく。

今、出ている思いを使って。

こういう出てきては置き去りの思いが、そのヒーラーのセッションでは目白押しだった。

自分のことなのに、わからない、それはずっと気になっていたことだったので、それを聞いてもどうしていいかわからなかった。

心当たりが浮かぶわけでもなく。

わたしの?な感じを察したのか、説明を加えて来られ、それに決めつけられた感じにムカついた。

わからないと、他人を責めたくなる流れに移っていた。

そのままの流れで病気リーディングやらだったので、こいつ信じれんやつ、そんな思いのままでセッションを終えたのだと思う。

こころを閉じたままではセッションはなかったようなものだったんだろうな。

(シータヒーリングでのやり方だと、具体的な場面が浮かぶので、お互いそこをとっかかりに掘り下げができた。例えば、セメダインの匂いをたくさん嗅いだ感じがするんだけれどと言われて、小学校低学年の時に、下敷きや机にセメダインを塗っては剥ぐ、下敷きや机が何となくきれいになるのが嬉しくて、逆シール遊びをやたらやっていたことをありありと思い出した。その時に、臭いは苦手なのに、剥ぐのが楽しいから、あの臭いをかなり吸い込んでいて、それをヒーリングで浄化してもらった。

それは電話セッションだったけれど、自分の中からあの臭いが抜けるのを感じた。

で、他も思い出した。かさぶたとか日焼け後の皮膚とか、剥ぐの大好きだった。今は剥ぐの面倒くさいから、剥ぐ必要のないものは貼っても、剥ぐ必要のあるラベルとかは、貼らない工夫を考える。スピ系に無理変換すると、ラベリングしないことってなるかも。ラベリングしたら剥がすの大変だから。

他にはおばあちゃん家で膝を抱いている、という言葉で、低学年の夏休み、1月、祖父母の家に預けられていたことを思い出した。その時のストレスをないものとするために感情の記憶を書き換えたことも思い出した。おそらく、感情の書き換えをしたものは、結局、記憶していないことになっている。)

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